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お盆豆知識

飾り方

お盆の迎えかた

お盆のいわれ

お盆の由来は「仏説孟蘭盆経」にでています。これはお釈迦さまが祇園精舎で説かれたもので、お経自体は短くて分かりやすく、今日私たちの生き方に大きな教訓を与えてくれる内容となっています。

この仏説孟蘭盆経によると、お釈迦さまの十大弟子の中でも神通力一番といわれる目連尊者が、その神通力をもって今はなき母の姿を探し求めたところ、母は餓鬼道におもむき、さかさまにつるされてもがき苦しんでいました。これにはさすがの目連尊者もなすすべがなく思い余ってお釈迦さまのところにはせ参じ、事の次第を告げて亡き母救済の方策をたずねました。

お釈迦様は「お前の母は生前の罪が深いため、そのような苦しみを招いたのであってお前一人の力ではどうすることもできないよ。しかし、幸いなことに夏安居の修行期間の終わる七月十五日に多くの僧たちに供物をささげ、供養しなさい。そうすればお前の母はもちろん、七世の代までことごとく救われるであろう」と諭されました。目連尊者がお釈迦さまのいわれた通りにすると、苦しんでいた母は無事に救われました。

この物語から、日本ではお盆に先祖の霊が各家に帰ってくると信じられるようになり、飢え苦しんでいる精霊に供養し、自分の先祖と共に成仏出来るようにとお坊さんにも供養する報恩感謝の行事となったのです。

一般的には七月(八月)の十三日から十五、六日まで行われます。お盆前にはお墓やお仏壇を掃除し、仏具などもていねいに磨きます。仏壇の前には精霊棚を作ります。十三日の夕方までに迎え火とお墓参りをし、お坊さんに棚経をあげてもらいます。十五日か十六日には送り火とお墓参りをして精霊を送り出します。

精霊棚のまつりかた

精霊棚のまつりかたには特に決まった形はありません。地方によっても異なってきます。

一般的には精霊はきゅうりの馬に乗って来て、なすの牛に乗って帰るといわれ、これをまこもむしろを敷いた上にのせ、供物は蓮の葉や水萩などのほか故人の好きだった花や旬のものを飾ります。お腹をすかせた精霊たちへの施食なのです。なお浄土真宗では霊が存在するとは考えませんので、精霊棚はつくりません。

新盆と盆提灯

故人となった方をはじめて迎えるお盆が「新盆」です。お盆には地獄の釜のふたが空くといわれ、故人の霊が初めて懐かしい我が家に帰ってくる日です。新盆の家では、親類をはじめ故人と親しかった縁者を招き、新盆供養を行います。精霊棚を飾り、お寺さんにお経をあげてもらい、墓参りを行います。

精霊棚は新盆だからといって特別に変わったまつりかたはしませんが、多くの地方で親族縁者が「盆提灯」を贈る風習が色濃く残っています。

『灯り』は、故人の霊が道に迷わないように灯すといわれており、夏や秋の草花をえがいたつり提灯は新盆だけの贈り物になっているようです。また行灯型の提灯やとうろうを送る地方もあります。

お盆の準備

お盆を迎えるにあたっては、まず最初にお寺さんに、お施餓鬼、卒塔婆の作成、棚経などを依頼します。お寺さんはこの時期、たいへん忙しくなるので1ヵ月ぐらい前に頼んでおいた方がいいでしょう。つぎに精霊棚や新盆見舞者へのお返し、新盆用の提灯の注文をします。提灯には家紋を入れたりしますので、あらかじめ調べておき、早めに手配しておきましょう。

7月(月遅れ盆は8月)に入ったら精霊棚を作り、飾りつけを施します。またお墓やお仏壇をきれいに掃除をしましょう。盆提灯も飾りつけます。十三日には、迎え火といって、盆提灯に灯りをともし、門辺や玄関先、お墓、浜辺などで素焼きの皿などにオガラを入れ火をたき先祖の精霊をお迎えします。お墓参りもすませましょう。

そのほかお盆の期間中にはお寺さんに来てもらい、お経をあげてもらいます。またお寺では孟蘭盆会(うらぼんえ)の法要をいとなんでいます。お寺まいりも欠かさないようにしましょう。

十五日か十六日には送り火といって家に迎えた精霊に帰っていただく行事を行います。家の門辺などにオガラをたいたり、新盆の提灯を焼いたりします。京都の大文字の送り火は最も有名な送り火の行事です。また精霊棚の供物やお飾りを麦ガラなどでつくった舟に乗せて提灯に灯りをともして海や川に流す精霊流しの行事も行われていました。(現在は保険衛生上禁止されています)

以上が一般的なお盆の迎えかたですが、宗派や地域によっても多少の違いがあります。

仙台の盆祭り

盆祭

正月は稲の収納一切を終わって、新たなる年の田畑の準備を始める時であるに対し、盆の方は麦その他の畑作物の収穫が完了する一方稲に対する風水害と虫害をさけて豊饒を祈る時期である。かかる時に祖先であるが故に子孫の繁栄と収穫の豊饒を保証してくれるため祖霊が家々を訪れると考えたのは自然であり、子孫もまた祖霊に収穫の供物をそなえて感謝し実りの保護を祈るために祭りをいとなんだのである。そして合わせて存生の父母にも報恩のやしないをこの時に行い、また祀られない無縁の精霊をも祭ってその災いをさけようとしたのであって、これが日本人の祖霊観であり国柄であったといえる。

日本の祭りにはこれに先立って神を迎える心身の慎みと用意ともいうべき物忌みが行われる。七月七日の朝に七夕を送ってから、この日を近畿地方でボンハジメ、ナヌカボンといい、当方地方ではナヌカビと称して盆の準備に入る。これが盆祭りの物忌で、地方によっては七月一日から物忌に入る所もある。七夕流しに川に入って水を浴びるのもミソギの習俗である。十一日から十三日までに各地とも盆花を採り、あるいは買いととのえる。仙台では墓に花竹(ハナダケ)を打って盆花を手向けるが、これは七夕竹と同様精霊がこれに乗って降る依代(ヨリシロ)である。盆棚(精霊棚)は祖霊を祀る祭壇で、仙台地方の農家の盆棚は四隅に忌竹を立て、これに注連縄を張りめぐらしている。棚の前、正面に盆菰を下に垂れるように敷いて上に食器を置くことになっているが、これは神祭そのままの飾り方である。仙台では盆棚の上の方に竹を一本横に吊って野菜や果物を掛ける。祖霊の保護による収穫を感謝する意味の供物である。十三日または十六日には全国各地とも盆肴と称して魚類を用いる所が少なくない。盆にはイキミタマと称し魚をとって来て存生の父母を養うことが近畿、関東の一部に行われている。祖霊を迎えるにあたってはあたかも生きた人を迎える如く祖先の名を呼ばわる所が多く、中には先祖を負う真似をして迎える所もあり、祖霊の足洗といって盆に門口に水を置く所も少なくない。

盆には仙台のように供物の一切を盆菰に包み、これに茄子の馬をそえて川に流しているのが神送りに当たっている。一般的にはこれを精霊送りの名で呼び、海岸や川ぞいの所ではツケ木の舟を作って流したり、円い形は角型、三角形の舟に火をともして流したりする所があって、これを流れ灌頂と言ったり川ガリカンジョといって同時に稲の虫や禍や病気を送る地方もある。仙台の盆火は一種の火祭りであるが、地方によっては門火には限らず松明を焚いたり藁小屋を作って焼いたりする所もあって、それらの火で焼いた食物には呪いの威力を認めている所が多い。こうして祖霊を送って二十日盆、晦日の送り盆というように後の物忌をもって祭を終わるのである。

花竹打ち

仙台では七月七日に七夕さんを送ってその日の夕方から仏壇と仏壇のある室の軒先に盆提灯をともし始め、十二日に寺へ行って墓を掃除し、花竹を打って盆花を供えて来る。

このハナダケは径一寸五、六分のものから三、四寸位までの真竹を一節のもの又は二節のものに伐ったもので、土中に挿し込む部分をそいであって節の数によって1階のものと二階のものと呼ぶ。盆が近づくと仙台の西の山村、芋沢や愛子辺りから「ハナダケー、ハナダケー」と触れながら市中へ売りに来る。寺町の門前の花屋でも売る。それを墓に一対ずつ打つのであるが花をいけるため切口の節を抜き、正面を長方形に名刺形に削って施主の名を墨書する。

花竹はたいてい十二日の朝早く日のあがらない内に打つのであるが、ヒグラシの鳴く暁に墓地の方々から花竹を打つ音が聞こえてくるのは盆らしい風趣である。盆花は近在から女が売りに来る野生の桔梗と女郎花、ワレモコーなどを束ねたもので、秋保町あたりではフシグロセンノーの花を盆花をいっている。

盆棚と供え物

十三日朝に仏壇に盆棚(精霊棚)をもうける。仏壇の前から下へたらすように真菰で編んだ盆菰を敷き、その上に仏膳を置き、膳には蓮の葉をしいてその上に仏器をのせる。この膳は先祖の精霊さまの分で、も一つ無縁さんのために蓮の葉の上に直接供物をのせ、どっちも箸は柳である。この蓮の葉は毎日新しいのと取り替える。

それから仏壇の前に横一文字に細い竹を一本吊り、ミョーガ、ナス、キューリ、ササゲ、ナンバン、ホーズキ、小さいナシ、リンゴ、コンブを各二つ糸でつないで、竹に振り分けに吊り下げる。これには必ずトコロが無くてはならないことになっている。野老はホトケノヒゲなどといって仏さまはトコロのヒゲを伝わって仏壇に上がるといわれている。他に供物として甘瓜、桃、ソーメンを備える。これに昔は提灯二つ、切子一つ、行灯一つを灯した。盆菰と蓮の葉、柳の箸等一切を括ったものをお棚ものと称して、これも近在から売りに来る。

ホトケさまは十三日の夕方に来て十五日の朝まで家々にとどまるという。十三日は昼に白玉団子を備え、夜は茄子の油いりを供える。この日から十五日朝までホトケさまの滞在中墓参りをするが、墓毎に洗米と味噌と茄子をきざんだのを供え、これを重箱にいれて持って行ったが今は供えなくなった。

前年の盆以後に新仏を出した家では初お盆といって庭に松燈籠を立てる。高さ三、四間の松の長木を立て、その上端に燈籠をかかげるのであるが、竿に竹を用いる際は竿の尖に松の葉を付ける。寺に立てる所もある。これも現在は新市域の農家に見るのみである。

十四日は昼に切麦、ソーメンを供え、昔はこれに梅漬をそえた。十五日には昼に小豆餅と雑煮餅、ズンダ餅を供え、夜は甘酒を供える家もある。十六日には朝早くホトケさまが帰るので、団子、茄子の油いりを供え、昔は昼に小豆、豆粉のオハギに白瓜の粕漬を供えた。三日間精霊さまに供えたお棚ものを一切盆菰にくるんで、茄子の胴に割り箸を四本さして足とした馬に背負わせて川へ流す。これはホトケの祭りもすんで何事もナスという意味だなどという。二十日はハツカボンといい、ホトケさまはこの日、日帰りで来るという。晦日はオクリボンをいって、この夜まで盆提灯を下げておく。

盆火

十四日から十六日まで三日間、毎夜松火(マツビ)と称して盆火を焚く。昔足軽町では十三日から焚く慣わしであった。その起源について仙台では、藩祖伊達政宗が仙台開府の後、戦没者の霊を弔うため毎年盆に仙台城大手門前に火を焚かせたことから始まるといい、又正宗の長女天麟院夫人五郎八姫が家康の六男越後高田城主松平忠輝に嫁するため慶長十一年七月、江戸から仙台に下った際、姫を慰めるため城下士丁町々に門火を焚かせ、燈籠をかかげさせて本丸の櫓から見物したことから始まったともいわれ、この事は貞山公治家記録に記されている。

盆火は商人町、屋敷町ともに道路に向合って店の前、門の前で焚き、この外に内神の明神の祠、井戸、雪隠の前でも焚く。昔の松明は薪を二把も三把も井桁に積み重ねて焚いた。これが全市をあげての行事であるから焔の色は炎々として夏の夜空に映じ壮観を極める。

以上が一般的なお盆の迎えかたですが、宗派や地域によっても多少の違いがあります。



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